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エメラルド仏の長い旅 パート2

1434年、エメラルド仏が祀られていた仏塔が落雷にあって崩れ、瓦礫の中から石膏が剥がれ落ちたエメラルド仏が再び本来の姿を世の中に現し、その噂を伝え聞いたランナータイ王国のサーム・ファン・ケーン国王は、エメラルド仏を当時の王都であるチェンマイに運ぶように指示します。ところが、エメラルド仏を背中に乗せた白象は、チェンマイに向かおうとはせずにランパーンに向かったため、連れ戻してはチェンマイに向かわせるということを2度繰り返しましたが、白象はいずれの時もランパーンにしか向かいませんでした。

国王はこれをエメラルド仏自らの意志と捉え、チェンマイに運ぶことを諦めてランパーンに寺院を建立し、ワットプラケーオと名付けてそこにエメラルド仏を祀りました。その後、次のティローカラート国王が改めてエメラルド仏をチェンマイに移し、チェンマイのワット・プラケーオに祀りました。それからしばらくして、ランナータイ王国とともにラーンサーン王国(現在のラオス)の王でもあったセータティラート国王の時代になって、エメラルド仏はスワー(現在のラオスの都市ルアンプラバーン)に移されました。

後にスワーはビルマ軍に攻撃されたため、1564年にエメラルド仏はヴィエンチャンに移され、ワット・プラケーオを建立してそこに祀られました。その後、1778年にトンブリー王朝のタクシン軍がヴィエンチャンを占領支配し、エメラルド仏を戦利品として当時のシャム王国に持ち帰ったのでした。その後現王朝のラーマ1世がチャクリー王朝をラッタナーコーシン島に遷都し、その王宮内にワット・プラケーオを建立して、それ以降エメラルド仏は長い旅を終えて静かにワット・プラケーオの本堂に祀られているのです。

王宮・ドゥシットエリア

王宮エリアは、現王朝が遷都してできたバンコク発祥の地で、王宮やワット・プラケーオなどの荘厳な寺院のある旧市街地区で、ショッピングエリアとは全く違う歴史的な魅力があるエリアです。ドゥシットエリアは、タイの政治の中心として、バンコク都の中心地としても機能している、官公庁の多く集まる政治と行政の中心的エリアです。歴史的な見所や寺院の多い地域や旧市街らしい落ち着いた佇まいの街を持つエリアでもあります。ただ、観光地区だけに詐欺師なども出没しますから、気をつけて観光するようにしましょう。また、バックパッカーの拠点と呼ばれるカオサン地区のあるエリアでもあります。

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