バンコクの歴史
バンコクは、1782年、現チャクリー王朝の第1世王となるチャオ・プラヤー・チャクリーが制定したタイの都で、当初はめぼしい施設が何もなかった状態でしたが、遷都から3年後にはアユタヤー王朝をモデルに、王宮を中心とした周囲には運河が掘られ、ラッタナーコーシン島と呼ばれる、王に近い人だけが住むことのできる人工の要塞となる島を作り上げました。
ラーマ1世当時には、ラッタナーコーシン島のみがバンコクの中心として機能していましたが、政治・経済の発展とともに手狭となった市街地は東方面へと次々に拡大していきました。ラーマ5世の時代には、王族全てが暮らすにはラッタナーコーシン島の王宮だけでは狭くなり、北方面にドゥシット宮殿群やバーンクンプロム宮殿、スコータイタンマティベート宮殿などが建設されたのです。
また経済の中心は、チャクリー王朝の初期にはラッタナコーシン島の外堀であった運河の東向かいのヤワラート(今の中華街)にありましたが、20世紀の後半になってからは、近代化とともにシーロム通り周辺に移され、ラッタナコーシン島周辺の地区は今では旧市街と呼ばれるようになったのです。
行政面では、ラーマ5世の時代までは、バンコクはチャクリー王朝の王による直轄地域として扱われていましたが、ラーマ5世の時代から市街地が急速に拡大していったことで、バンコクは畿内省という行政機関の管轄下に置かれることになりました。バンコクは、それ以降も更なる拡大を続け、近年になり行政管理が行き届かなくなってきた郊外にあるノンタブリー地区やサムットプラーカーン地区、パトムタニー地区を、1972年に独立した県としてバンコクから分離しました。
一方で、バンコクと経済的に緊密な状態にあったトンブリー県は、1975年にバンコクに併合されました。その後も都市の成長に伴ってバンコクの市街地の拡大化はさらに進み、1980年代には経済が飛躍的に発展して国の行政機関の直接統治が困難になったため、1985年に「仏暦2528年・バンコク首都府行政組織法」が国会で成立し、それ以降は首都府という形の自治体として、都民に選ばれた知事による自治行政が行われるようになり、そのときに現在のバンコク都が誕生したのです。
